FEATURE

KNOX Craftsmanship story on
“ FLUCT(フラクト)”

“逆算”により導き出されるデザインと、“時間の概念”をもつ革の融合。
使い手の心に穏やかな波紋を広げていく。

「本物にこだわり、その良さを代々伝えていく」という思いのもと、KNOXがスタートしたのは1979年。1985年には日本ではじめてバイブルサイズのシステム手帳を発表し、ブランドとして確固たる地位を築いてきました。立ち上げ時に掲げた言葉通り、素材や技術、デザインにいたるまで、“本物”だけにこだわったKNOXの革製品は、40年以上経ったいまもなお多くの方々に愛されています。

2022年、KNOXは最高級モデル「AUTHEN(オーセン)」につづく第2のフラグシップモデル、「FLUCT(フラクト)」を完成させました。パートナーはレザーブランド「m.ripple(エムリップル)」を展開する村上裕宣氏。村上氏はデザイン、裁断、縫製など、製作に関わるすべてを自らの手で行い、「モノを入れ、使い込むことで、完成する形」を作り上げています。

「FLUCT」に内包される、美しい“ゆらぎ”。独特の曲線で表現されたそれは、自然界に存在する波長のように心地よく、使い手にそっと寄り添います。使うことで気付かされる曲線の意図、精緻な構造でありながら溢れ出す温もり、肌にしっくりと馴染む質感、手帳に書き込んだ瞬間から刻まれていく自分だけの時間。村上氏は何を思い、制作と向き合っているのでしょうか。これまでのバックグラウンドとともに探っていきます。
システム手帳 バイブルサイズ ベルト付 124-817-20 ブラック 59,400円(税込)
システム手帳 バイブルサイズ フラップ付 124-818-85 ナチュラル 59,400円(税込)

村上さんはどんな子ども時代を過ごされましたか?

染呉服職人の父、滋賀県の西江寺という寺で育った母のもとに生まれ、18歳まで京都で過ごしました。幼少期は日本刀と車に惹かれ、小学校高学年になると食べることが大好きになったんです。好きなものは自分で作らないと気が済まない性格の僕は、そこから料理に目覚め、中学1年のときにはクッキンググランプリに出場し、賞もいただいたんですよ。そうしたらもう舞い上がってしまい、「中学を卒業したら料理人になる!」と宣言。物心ついた頃から「将来は自分にしかできない仕事がしたい」と考えていたことも、影響していたのでしょうね。

ただ、僕はクリエイティブな料理が作りたかったんです。だから中学を卒業してそのまま料理を学ぶのでは見識が狭くなると思い直し、食材の方に目を向けて、バイオテクノロジーを学べる高校へ進学。大学は農学部農学科を専攻し、遺伝育種の研究をしていました。

料理人になるという夢から、遺伝育種の研究に辿りつくまで食物を追求されたとは…。

大学時代、たまたま入った喫茶店のマスターにアルバイトとしてスカウトされ、その店で調理師免許は取らせていただいたのですが、その頃には料理人や研究者というより、何かしらの素材を形するに仕事に就きたいと考えていました。僕がなぜこどもの頃に日本刀や車が好きだったかというと、フォルムに魅了されていたからなんですね。自分が好きだったフォルムから得たインスピレーションを、何かの素材で具現化したいと感じるようになったのだと思います。

これから自分はどの素材を扱っていくかを見つけるため、作家さんのもとで陶芸を学んだり、シルバーの彫金を勉強したりしたものの、どこかしっくりきませんでした。でもある日、喫茶店で手に取った雑誌でレザークラフトの記事を読み、ビビビときたんです。それですぐさまバイクを売り、革製品づくりの道具と革を購入しました。バイクに乗っていたので、革ジャンやレザーの手袋など革製品は身近にありましたが、改めて革という素材に触れた瞬間、「これだな」と感じたんです。

革に何を感じたのでしょうか?

革は「時間の概念」を加えられる素材なんですよね。革以外の素材で作ったものは、ずっとフォルムが変わりません。だけど革は年月とともに変化もするし、形も崩れていきますが、同時に味と艶が増していく。素材としては古びていっているのに、美しくなるところに美学を感じるんです。僕、昔から使い込まれた服が好きなんですよ。デザイナーはどれだけカッコよくデザインできても、10年着用したあとの姿までは作れないじゃないですか。それと同じ感覚で、僕は完成まで作れない。僕の革製品を購入してくださった方が、使い続けてくれることで、その人だけの形が完成する。僕はそこから逆算した形を、型紙に落とし込むんです。革と改めて向き合ったことで、点として存在していた自分の好きなコトやモノがつながり、線になったように思いました。

それで大学卒業後は料理人でも研究者でもなく、革製品の世界に入られた。

ええ、最初は就職をせずに作家として活動していく予定でしたが、ご縁のあったレザーファッションブランドのメーカーで働くことになりました。やはりこのときも、社会を見ずにいたら見識が狭くなってしまうだろうと思ったんです。

入社してよかった面はたくさんあって、まず自分の作品をいくらでも作れる環境になりました。職人としての採用でしたが、仕事が終わると思う存分、作品制作に時間を充てられる。毎日外が明るくなるまで作品を作り、工房の上の寮で寝て、仕事をするという生活です。自分のモノづくりを極限まで突き詰め、制作に没頭していました。入社して数年後には会社内で自分がデザインや制作を担うブランドを発足し、13年間勤めて独立したんです。もともとは3年ほどで独立するつもりでしたが、メーカーでは個人ではできない規模の仕事ができたので、気づいたら長い月日が経っていました。

会社内とはいえご自身のブランドを立ち上げられるほどの
ご活躍でしたら、お仕事も充実されていたかと思います。
なぜ独立を決意されたのですか?

勢い、でしょうか。独立へ向けた準備をしていたわけでもないので。正確にいうと、「m.ripple」を設立したのは退職した2年後。実はメーカーを辞めたあと、革の仕事を辞めようと思った時期があったんですね。モノづくりにとことん向き合ったことで、技術的にもデザイン的にも、自分の限界が見えたというか。ある程度のラインまでは行けるけれど、それ以上先は無理だなと思ったんです。

だから退職後、別の仕事に就こうとハローワークへ行ったのですが、紹介されるのは革業界の仕事ばかり。不思議なもので、革を辞めようと思うと、革に携わらないといけないような気持ちになるんです。そしてそこではじめて、革の世界で生きていくという覚悟が決まりました。

まず行ったのは、2年間という期限を決めて他の革メーカーに勤めること。13年間在籍したメーカーは、アメリカンレザークラフトのワイルドなテイストだったので、それとは真逆の繊細な革製品を作る技術を習得したいと思ったんです。その技術を身に付けたうえで、自分が何をしていくかを考えようと。結果、心境に大きな変化はありませんでしたが、2012年に「m.ripple」を立ち上げました。

「m.ripple」というブランド名に込めた思いをお聞かせください。

「ripple」は水紋、波紋を意味する単語です。人間の感情を静かな水面に見立て、そこに自分の作った製品を一滴の雫として垂らしたとき、水面に広がるゆらぎを心で感じてもらえるようにと願い、「m.ripple」と名付けました。

その思いをどのようなデザインで表現されていますか?

使い込むことで完成する形、ですかね。モノを入れたり、経年変化が起こったりなど、ご愛用いただいた先にある形から逆算し、デザインを構成しているので。それに僕はデザインから設計、裁断、縫製まで、一連の流れすべてを一人で行っていますから、自分から枠にはまっていく必要がありません。だから「このアイテムには、この要素が価値になる」と感じる部分を色濃くした製品がゼロベースで作れますし、アイデアを具現化できる技術ももっている。「時とともに使い手の歴史が刻まれ、革が育ち、自分だけのものになっていく」というコンセプトは、どの製品にも共通しています。

村上さんはデザインをする際、ラフを描かないそうですね。

それは全部自分でできるからなんです。ラフって、絵は描けるけどパターンを引けない人が、実際のパターンナーに伝えるためのものなんですね。僕の場合は、ラフの存在が制限になってしまう。ラフ通りのものができるということは、イマジネーションがそこで止まってしまうということです。どのようなデザインになるかは、最初の切り口次第。財布ひとつとっても、「機能性を考え尽くした構造の財布」なのか、「小銭、お札、カードのすべてが、ひとつのポケットで完結している財布」なのか、目的によってデザインは変わりますよね。

かといって機能性から導かれるデザインだけではなく、まったく別のアプローチで生まれるデザインも多いですよ。たとえば展示会に出展するためイタリアへ行ったときの記憶をきっかけに、カバンを作ったこともあります。このときは適当に選んだカバンを持っていってしまい、現地でとても後悔をしました。それならば、どんなカバンだったらイタリアの街に溶け込んだのだろうと考えたんです。そこで帰国後、イタリアの風景を思い出しながらカバンをデザインすることにしました。これもひとつの「逆算」の発想です。

なるほど。目的やインスピレーションに応じて、アウトプットの形も変わっていく。

インスピレーションは思いがけないところに潜んでいます。失敗したパーツを切り刻み、ゴミ箱に入れたときの端材革のフォルムから、新しい財布が生まれたり。僕はこれらを「グッドハプニング」と呼んでいて、常にグッドハプニングを待っているんです。何かを求め、行動を起こし、得られることというのは、だいたい想像がつきますよね。だけどグッドハプニングは、想像がつかない形のヒントになりますから。

村上さんが手がける革製品は、直線的ではないゆるやかな曲線が印象的です。
これも「想像すらつかなかった」何かに、関係があるのですか?

というより、幼い頃目にした寺や神社の屋根のなだらかなラインが、潜在的に心に残っているのかもしれません。僕が生み出す線は、基本的に手描きなんです。気に入るラインが出来上がるまで、ひたすら紙に線を描いていく。そしてその線に沿い、革に包丁を入れていきます。自然界に直線は存在しないんですよ。水平線だって真っ直ぐではなく、わずかなゆがみが生じています。直線は世の中でコントロールされている線。だから僕は線をコントロールしていないだけの話です。
ただ、これらの曲線はデザインとして入れているのではなく、それぞれに意味があります。二つ折りの財布を例に挙げるなら、二つに折ったときに一直線のようになるラインや、お札を入れることを見越したゆとりのあるライン、お札を出し入れしやすいラインなどですね。要は「モノを入れたとき、もっとも美しく見えるライン」といえます。

ラインは村上さんの作品ならではの特徴なのですね。

ラインには僕のオリジナリティを落とし込んでいます。自分がこの世を去り、製品だけが残ったとき、「このラインは村上裕宣だな」と認知してもらえたら最高ですね。

高性能なミシンではなく、足踏みミシンを
使用されていることにも理由があるのでしょうか?

足踏みのミシンはひと針ずつ縫えるため、糸の締まりが強く、綺麗なステッチに仕上がるんです。パッと見ただけでは分からないかもしれません。だけどステッチひとつで、全体の印象は大きく変わります。ステッチは単に縫い合わせるだけの工程ではなく、レベルの高いプロダクトを目指すために重要なものなんですよ。

もうひとつのこだわりは、足踏みのミシンは基本的に直線縫いしかできないというところ。高性能なミシンだと簡単に縫える部分も、このミシンだと縫えなかったりします。だからミシンに合わせて型紙を工夫する必要がある。一見、マイナスに感じられますが、のちのちプラスに働くことが多いんです。人の都合だけで完結させないがゆえに、生まれる価値とでもいうのでしょうか。

ステッチワークをはじめ、細部へのこだわりが、
美しい仕上がりにつながっているのですね。
最後に、KNOXの「FLUCT」シリーズを製作された
ご感想をお聞かせください。

KNOXとm.rippleの村上裕宣が一緒にモノづくりを行うことで、いい化学反応を起こしたいと思いました。個人で思うがままに創作活動をしてきた革職人が老舗のシステム手帳メーカーと手を組むことにより、これまでの常識を少し破れるようなプロダクトが生み出せたらおもしろいなと。その究極の形が、「FLUCT」シリーズとして体現されています。

アルチザンプロフィール

村上 裕宣(ムラカミ ヒロノブ)
1976年京都市生まれ。農学部にて遺伝育種を専攻。大学卒業後、皮革製品製造販売会社に在籍。2012年レザーブランド『m.ripple』スタート。m.rippleの「ripple」は波紋を意味する。感情に例えた一滴の滴が水面を波打たせ、その波紋が静かに拡がり続けていくイメージを製品に体現。自分の歴史を刻みながら育てるレザーアイテムを、佇まいを纏った空気感や実用品としての機能性が手に伝わるようにデザイン・設計・製作している。